ピアノ音楽の魅力とレッスン


①ピアノの魅力や演奏するということは、楽譜や鍵盤を通じて音楽と会話し、その作曲家の作曲法や和声法をかんがえ、演奏者がソルフェージュの考えを土台にして、自然に素直に演奏することで、聴く人との間に音楽が初めて成立すること。とてもむつかしいです。

②私は、演奏や教えることを通じて、20世紀最後のメロディを持つ作曲家そして、無調時代の中でも、色んな作曲家から学び伝統的な音楽を書き続けたプーランクのクラシックピアノの作曲家全般を、どうしたら社会に貢献できるかを考えています。前向きな時も後ろ向きの時も、肩に力が入らない程度で向き合えます。ちがう作曲家同士でも似たような音型や形式があったり、同じ作曲家のでも、作曲への気配りとユーモアでさまざまなメッセージを伝えてくれるんです。音楽は、書いていないアクセント・タイ・作曲家の背景、生き方・アーティキュレーション(表現)、ディナーミク(素直に楽譜をみて音の強弱を弾き表してみること)、ダイナミクス(構成感)、休符、拍、和音、スラー、レガート、音符の長さ,運指,難しいテンポの考えかたと右手・左手の調整,必要な音と音の継ぎ目のこと・拍子感、小節線などありますが、その前に楽譜を自分の心にまっすぐ弾き表して見ること楽譜を見ること、自分で自分のヴァリエーション(可能性・特徴)をきずいて、対話してみるなどあります。かならず無理をせず、困つたときは、音と耳を連動させず、弾くだけに集中しない事で、練習のポイントは、①楽譜に書いてある最も簡略化した読み方の音を、自分なりの発音練習②両手を使ってポリフォニーを伴う考えで、自分を律する弾き方で弾き、メトロノームを使って、作曲家の語法を自分の音楽として読み解けるまで、何回も推敲を重ねる。それを大切に解明し、クラシックやポピュラー、邦人作曲家通じ学んでみたら、何かしらのプレゼントがもらえます。楽譜には書いていない音と音の間のワンクッション・わずかな鍵盤への重力をむつかしく考えずに見つけます。音楽家の特徴を1つに限定せずにみると、元気になります。

🔹シャミナード(水の精)には、リズムの区切りがないのではなく、独奏と重奏の速さのとらえ方等、溌溂とした旋律・とめどなく流れ動く旋律が同時に再現され、平均律とワルツの様式が、楽しく伝わり、旋律と伴奏・テンポや速さへの作曲者の思いも聞こえてきます。

古典のソナタの最後の数小節から、全ての音符を弾く人自身のゆっくり「歩く」速さの自分と相手が鳴らす小節の弾き始めの第1拍目のアクセントの再現をまもること・バロック音楽から、舞曲の速さはすべて同じでないことへの意識は忘れていないことがわかる。楽譜内の一番細かい音を1拍と捉えて、作曲者が設定したテンポ・ペダルの離し方と終止マークの意味は、シャミナードの特有のテンポ変わらず曲中を移動するメロディとなれる単音の「歩く」動きと、速さを持った自由に動く内声の混合と見ず、声部の違う主旋律・副旋律の合奏であり、耳を澄ませると弾き始め1拍目は演奏者自身へ向けても、まっすぐ弾く姿勢は大切な難点となる。無理のない全体の決めたテンポが仕上げにも反映されることもあります。セヴラック(ラングドック地方にて)から、1つのリズムの中に2つの時間の経過の様子を弾く難点・テンポ遅い所も早い所も同じく弾く点はシャミナード作品に参照されます。⇒音符の浮き沈みや連符は決して装飾音ではなく、かちっと緩やかな中にも、颯爽とした安定を第一に、頭の中のはやさのイメージが先に行っても弾く人にも響いてくるテンポが特徴です。⇒実際には見えにくいですが、(水の精)最後の6小節の16分音符と3連符の連なり等、小節の移行をなるべく気楽に努める事が、隣り合う小品1つ1つに曲調の差を持つ『変奏曲』の特徴にヒントを含んでいるのかもしれません。演奏者が同じ落ち着きで弾き続けた時に、その変奏では奏者自身がどんな安定感にて保たれるどうかの効果を探します。

🔹フランシス・プーランク作曲/間奏曲変イ長調には「小節」に関し、〈ゆったり〉でも、〈暗譜〉に近いペースでも、作曲家自身の音楽語法は同じ動機が持続し表現されるに値し、音符の動きや速さの効果を失うに比例しないと伝えています。その中には、弾く人が作品の音符に(拍動)の可能性を見出すことが大事と分かります。古典派やロマン派の作品を学ぶ時と同じ姿勢のままに、その時の奏者の聞く力によりそれを見いだしてほしい事が知れます。

セシル・シャミナードが音符の中で、〈演奏者自身での穏やかさの中の急速さ〉を研究したと同じに、プーランクのババール作品や主題と変奏をはじめ、プーランクの「誰にも聞き取れやすい旋律」の中に、自分が指示できる散歩に似た呼吸を保つのが必要だと教えている。⇒旋律が2つ並行する事によるシャミナード,プーランクの指先の影響をともないますが、シャミナードは左手は弱く右手は僅かに大きめの強さを、プーランクは左手は僅かに先導音のつもりで鳴らし右手は1歩引いて鳴る特徴を探します。

暗譜の際に、前もってどんな音符で構成していくか弾く人が分かっている曲であっても、しっかりとテンポを落としたとしても運動性はそのままに、作品の音符を抜かず範囲を保つ事が演奏の中で大切だと伝わってくる点があり音量に少しずつ影響を持ちます。

🔹バロックの舞曲「ルール」から習う事がある。1つの同じ曲の中では弱拍も強拍の部分も、

小節の頭はきちんと読むことである。一方、セヴラックやシャミナードやプーランクの作品から気付くこともある。

※曲全体の音の複雑さには驚いてしまうかも知れないが、大切な音を区別しながら先走らない事が、前提となること。

※先ずは客観的に目立ちやすい音符の響きは余り気にしないこと。また、譜面の中に必ず見つける事のできる内声の音群を、速さを変えずに素直に注意を向け続けることが、弾く人の助けとなること。

※その後、付随する曲中の強弱の配置や、合図(アクセント)代わりのオクターブや同音の単音等を、弾く人が役割を持たせてあげると、その音符が又、演奏の時に良くかぞえる事の大切さを静かに教えてくれること。弾きたい理想のテンポのために、つい譜面のむつかしさを雰囲気につられて細かく描きたくなる反面、譜面を眺めて先にやらなければならないことは、最後の仕上げの時にも役立つ『自分に随時しゃべる事のできる焦ることのないゆっくりかつ正確な、その曲の練習のテンポ基準を決める事』にあります。それは、セヴラックの、印象的なオクターブペダルや3連符による目印を支えにした旋律と伴奏の関係にも似て、悩みながらも大切にしなければいけない。

⇒セヴラックの作品より【聴音の学習】から、譜面上にはない、もう1つの1声部として、

フォーレの即興曲のような復旋律の伴奏の形を速さの参考にします。

⇒シャミナードやプーランクの譜読みより、オクターブペダルや3連符では【聴音の学習】からは、単旋律と複旋律をペダルにて1つにまとまる特徴に向け、速さの支えとして、譜面上にはない単旋律のテーマも学ばれます。

🔹肩の力を鍵盤に伝えない事や頭のイメージがあっても運指のエネルギーは先走らない事による支えでセヴラック・プーランクの演奏法がペダルの使われ方により守られる時がある。①ワルツ部分の、3拍目から1拍目は、休符にならないようにペダルと共にタイで音をのこす時。②隣り合うもう一つのワルツ部分の3拍目で、自然なペダルにより音を切る必要のある時。③和音中に細かい構成音があっても全て奏する事により平均律が安定され、一緒に伴われるアルペジオも、演奏をする人が、作曲家が描く円滑な打鍵のままに安定できたと納得できた時などにペダルの効果を取り入れることが可能となれる。④背中を伸ばした時に速さを保持できるつもりでいる事と、強弱の変化は作曲家の指示あるたびに再現させる事はどういうことかを、作品から確かに教わります。

🔹シャミナード〈おべっか使い〉の作品にも内声の働きと比べペダルの特徴が探される。

2分の2拍子のこの曲には、まっすぐな指運びを求める中にもしぜんな音の収め方について、タイの中のレガート・スタッカート・マルカート・ポルタメントに置き換わっている点を読まれます。それとともに作曲家が守りたい1つ1つのパッセージの始まりの位置について、

①分散された音の並びの中から運指のエネルギーを1点にしぼる。②自分で決めたテンポ。③小節内の音符の長さは変えない等を、弾く人が大切に聞き逃さないことを求めています。2分の2拍子を、セヴラックの作品より習うと、練習の時は4分の4拍子で捉えてみます。

🔹シャミナードやセヴラックの『拍の暗譜』は、例えば古典派の作曲家に代表されるような、<歌と調性>には従っていない為、必ずしも速めのスピードは重視していませんが変化にはかなり厳しく、音楽的なまとまりは作曲家を尊重して行われます。耳の情報に頼らず、片手ずつの暗譜が済んだあとは、言葉に置き換える等して、休符や長い音の価値について、なぜ作曲家が1つ1つのパッセージの中に特定の時間の経過を必要としたのかを、弾く人が気持ちを抑制しすぎず自分自身に働きかける事で演奏時間にも長さが生まれます。聞く人には、旋律部分と伴奏部分がハッキリ明確化されない点を持つ反面、物語の芯の部分はさいごまで残ります。弾く人のペダルや主題と変奏の移り変わりの表現に関し、練習の終わりに精錬することで安定した演奏が楽になります。又、遠くから変化が聞こえてくる様子など、ブラームスの連弾作品の演奏からも参考にされます。

🔹仕上げ練習の完璧さを追及したいばかりには屈せず、本番力は忘れない事も重要です。

仕上げ練習とは曲のイメージに引っ張られて、早く演奏を決めたいとする事にはとどめず、弾く時にも、流された演奏には繋がらない弾く愉しさを自分に理解させることにあります。物怖じせず、pの音量のなかのP~Fを演じるつもりで、強弱の幅の上下にも、おなじく自信を聞いて表現しその中にも歩く速さを創ってみる点をシャミナードの作品・プーランクノクターンの作品にも感じられます。

ソナタ形式作品の各部分のその小節内での終止へ向けたペダルを離す・踏むの回数からは、音が自然と揃っていく様子に古典派~ロマン派からも参考にされる配慮も見えてきます。

曲調のみ・聞きやすい曲にしぼらずに、弾く人の椅子の高さ・作品の持つ自然な強弱の変化への素直な受け止めを、そのまま積極的に鍵盤へ移行させやすさと一緒に観察し直してみますと、

形式や複合拍子を持つ印象の作品の中には、リストの巡礼の年第2年の第1曲、フォーレのワルツ・カプリス第1曲の拍子や音並びの表情・セヴラックのメヌエットやスケルッォ形式からベートーベンソナタの第2楽章やロマン派の舞曲のリズムの譜読みや速さの表現の見方振り返るとシャミナードの小品の音符の組み合わせには管弦楽の音色の広がりも見えます。しかし、音符の組み合わせだけでしか弾けない作曲家だけに着目してしまわず、自分らしさの速さに注意することでしかその曲らしい速さに辿り着く事が不可欠な作品が、スケルッォop.35-1・秋op35-2、水の精op.101・他の作曲家の作品による水の精の曲、又、セヴラックの休暇の日々です。森の精・間奏曲はそれを基本に発展します。

又、ベートーベンの作品を立ち止まってその曲での‘‘核‘‘となれる自分の‘拍‘や‘速さ‘を見定める時があります。影響を受けたショパンやモーツァルトからは学べない移動する高音部と低音部・記入のない休符やアクセントを読む事で、弾きやすいテンポがみつかる作曲家に、セヴラックという作曲家がいます。慣れたように演奏しない事で、シャミナードを弾く時と同じく、頭の切り替えを情けなく思わず、セヴラックのピアノの作品から再びバッハやベートーベンを振り返ると、バッハの演奏からは、書いてある休符と書いてない休符を弾けるテンポを表現できるために、a;数を数えながらうたを弾く片手とb;小さく指揮しながらリズムを弾く片手を考えつつも拍と速さは一番上の音の音量と低音の音量を意識する事。ベートーベンの演奏から、仕上げ以外は、ペダルを使用しなくても2つの音楽がわずかに片手が片手を追いかける事。(暗譜)を見直す助けとなります。シャミナード森の精の曖昧な穏やかさを持つモデラートの速さの中の急速さや目に見えて変化する強弱を研究したシャミナードの作風が思われ、曲中にはロマン派後期から印象派の初めの作曲家と親交のあったセヴラックの背景も見られてきます。しかしながら自分らしい速さを本当に身につけなければならない時ベートーベンの曲は大変さを持ちます。

🔹安定性のある自然なテンポは中庸の速さのなかにだけ見つかることでもないし、歩く速さのスラーやタイでつながれた音符の中には、拍節の中の音以外にも、即興的で運動性のある拍があることを学び直します。拍に押し込めようとせず、得意な曲で、自分の中の安定性のある速さで思い切りのよい強弱をさだめると、シャミナード;水の精の曲に習(なら)い、ワルツ(3拍子)の中の平均律(2拍子)のリズムが、ショパンのノクターンop.48-2などの作品にも反映され、集中しすぎず自分のテンポ(音)もきちんと守られることや、重奏と独奏の特徴を持つシャミナード間奏曲から、アンダンテの速さの中の古典派の3拍子の速度が学ばれる。1リズムの中にペダル・和音・連符・3拍目の休符が特徴的とされています。

セヴラックやシャミナード含み、ロマン派の特徴を持つ作曲家の作品にも、家族や昔の旧友と楽しくお話しする曲調に対して、役に立てるのかもしれません。

🔹テオダ・ド・セヴラックのピアノ組曲「ラングドッグ地方にて」に収載される、

第1曲祭りの日の畑屋敷をさして・第4曲の春の墓地の片隅は1903年~1904年に作曲され、そのあとに休暇の日々第1集(1911)・第2集(1921)が作曲されました。

前者には独自の特徴に加え、古典派ソナタの1楽章やロマン派のノクターンに似た、ペダルの用法・強弱記号が残る。特にクレッシェンド,デクレッシェンド記号の記譜法を観察すると、例えば音が萎む所でクレッシェンドの指示がある等、音進行に沿って譜読みしたいという奏者の欲に反するような箇所にも演奏ポイントがあり、懸命に弾くと眩暈をおこす感を持ち、力を抜いて前向きに奏すると、健康的な音にも変化する。

この事柄は、ラングドッグ地方にて以前に作曲されていたセシル・シャミナードの森の精(1892)や秋(1886)では、和音・単音・アルペジオ・ペダルを分け隔てずに同じく観察できる点から3段楽譜にも見えてきますが、既に実践されていたことにも関心をむけると本当のヒントになれるのかも知れない

仕上げの際どのような速さを持つ曲も、真っすぐな中にも奏者が指揮するような拍の示し方をその場で考案する事により聞く人にも伝わる曲想指示の意味・曲名にも添えるスピード感に近づける気がする。一方、セヴラックのさまざまな組曲の他、小品集休暇の日々から学ぶ事も大事となり、作曲家の音楽語法が貫かれる所はセシル・シャミナードのピアノ演奏の助けになる→<左右ちがう拍の出だしについて>・<場面ごとに変わる音形を疑わない事>・<平静な加速度で1曲通じて弾く際も、片方はきちんと拍を鳴らし片方はテンポ崩さずリズム形が並ぶ>等。弾く人が持ち合わせる拍節を真っすぐ立て直そうとする精神や、自分が弾くピアニシッシモからフォルテシッシモまで自由に再現する気持ちを失わない事は演奏の必須な条件となります。プーランクの即興曲集は奏者に速度を任せますが、セヴラック・シャミナードの作品は奏者が曲に速度を託すことも思われます。

🔹セヴラック(1872~1921)は、後期ロマン派とされる時期からや印象派の初めとされる時期の作曲家が活躍する時期に最も活躍した時代と言われました。首都から離れた、フランスでも守られる、のちに「ラングドック県」とも呼ばれた、2つの川に挟まれる場所が故郷です。

地域を大事にし、作曲の要素の1つとされる(鐘の音)には、特徴を持ち合わせています。同時期のフランスの作曲家のドビュッシーや後期ロマン派の様々な作曲家の鐘の音を、等間隔の中で音が増幅しながらもすばやく変化を求められる旋律と伴奏を考えた音とすると、セヴラックは主旋律と副旋律と捉えて、最後まで正確さを求められる和音の強弱・変化する拍子・ペダルの表現を支えとする鐘の音の中で、バッハフランス組曲の音の形や、ロマン派の小品のリズムの収め方を尊重し、同時に取り入れている音色の表現があります。この事は弾く人へむけて、どんどん前へ進む音楽の中に焦らない歩く速さを創る大切さも教わります。

🔹プーランク組曲に寄り添うには、1つ1つの小曲に合わせて、例え濁ってもそれを作曲家の良さと捉えて、速さを数える事と強弱は同時となる。小節の上に書かれた仏語の音指示は、

最後の大切なポイントと考える。ペダルと和音の関係の手本となる、ショパンの発想用語を必ず読むということにも通じる、ババール作品の前半と中間に2か所ありバロック音楽を両手に置きながら古典派の対位法で作曲された小曲の部分を考えてみます。いずれも物語の年月の変化や心情の変化が替わるつなぎの部分ですが、バロック風の演奏からロマン派風の演奏へ切り替わる間の小曲で、独奏版においても管弦楽版連弾においても、大きなコントラストと簡潔さを含みながらも、弾く人にとっては、プーランク特有の2・4・8・16・32部音符の様式だけでなく、バッハを基本にリズム中心しながら全体を通してその周りを支える拍子や小節を越えて語法の特徴も持つ所は、古典の作品より大切な難点も伝わります。

🔹フルートと管弦楽(ピアノ)の為の小協奏曲の原曲は、フルート2・オーボエ2・クラリネット2・ファゴット2・弦楽器5部・金管楽器ホルン4・トロンボーン3・テューバ1・打楽器ティンパニの1楽章形式でした。その後、作曲者自身の編曲によるフルート1台ピアノ1台の為の版や、各編曲の方によるフルートとピアノの為の管弦楽版や他作品も多く作曲されました。演奏の際は前もって曲想を通じ、ソナタの様に自然にうたう事をどういう風に自分が消化し相手にはどういう風に伝わるかを学びます。曲の構成が、作曲家自身によるピアノソロ作品〔森の精〕の緊張のない縦の響きと〔水の精〕の角の取れた横の響き・又、〔ベートーベンピアノソナタ第31番〕の、拍節感は違えどゆったりした部分も素早い部分も、前奏主題から全ての各変奏は同じ速さで演奏者自身から発せられる音は、完璧な初見での演奏一筋に向けてだけでなく、低音と高音の音の長さの違いはその場の緊張のない集中力がともなう点や、主題と変奏を伴う音符の流れや行き来が似通う点を原曲を通じても編曲版にも見られます。そのときバッハやモーツァルトの作品から再度きずく事は、音楽に応えたいと進むだけでは音の流れは止まる為、速さが浮き沈みする緩やかな音符も早まる真っすぐな音符も、軽やかに困らずにテンポを留め置き→演奏へ移行できたら客観的には達成のようにみえてもそこから弾く人が`p`の中の`f`でクレッシェンドで立て直すと自然な速さでもって自発的な弾き方で自分ごととして聴く側へ伝わる事から、指の練習と捉えようとせずに、モーツアルトソナタニ長調の拍子やバッハのフランス組曲のリズムやベートーベンピアノソナタop.49-1の第1・2楽章の左手の歌や右手の刻むリズムがコンチェルティーノの強弱の変化に作用したのかな・と、弾きたい気持ちを抑え、人に教える気持ちで自分が弾く感覚を持つ事も大切です。それは、選んだ課題を一本の木々のように必死になりすぎないで、音の抑揚の連なりを弾こうとする事・相手の演奏を自分に調和させてそれを教えるきっかけにする大事さ・目立たないけれど役に立つかもしれないと思われる曲で自分に余裕を持たせます。色々な作曲家の曲においても、作品の暗譜や仕上げに関しての特徴が見えてくるのかもしれません。

🔹さらにシャミナードは創造的な決まったテンポは見えにくいけれど、ロマン派風連弾含み楽譜音符からは見る事の出来ない舞曲の繋がりを見つけておき、各声部のリズムの唄い方や強弱を広く訊く事で、どんな楽器と演奏するとして、アクセントの移動等ピアノの役割があるかどうかを探します。a;バッハフランス組曲4番のアルマンドの中の音が移動する中で実際の表記はない分、支点になる音符に指揮の代わりに符線を付け自分に訊かせて弾く。b;4番のクーラントやジーグ,5番のジーグの並びとベートーベンソナタop.28-1の3連符1個の様子の違いがあっても、符線を付けた1つの音と捉え点と線を繋け、リズム内の抑揚を弾くc;シャミナードの独奏曲は曲に慣れてくると音符がリズム内だけで終わってしまうように、思えてくるが、自分に一度大きく指揮して教えてあげると、音が減らされた感じがしても、アクセントや本来のリズムの形が見えて来る事から、単純に音が向かいあうように見えたり、本来の自分の出来や進行が止まっても、曲の形をアクセントの移動から見つけておくd;古典派の作曲家の幻想曲から時間に追われず音型やリズムのかたちを見渡す事や、プーランクババール冒頭のソロの曲から、いつも同じ弾き方ではなくても、上声と下声のリズムの形は失はず、思う範囲のなかで、テンポの違う2つの旋律を合わせる難しさ・ソロの最後の曲で、弾く人の心情とは別に単音の重なりや和音の長さは維持されたままである事など、言葉のアクセントや絵の印象は奏者が関われず他の奏者が欠かせない事などを参照します⇒

かしこまりすぎないけれど、きちっとした音符の長さを大切にしながら、様々な他作曲家の順次進行の音階の様子を併せて作曲していたことにも関わります。さまざまなロマン派作曲家の練習曲冒頭やバッハのフランス組曲2番主題またベートーベン最後の変奏曲の冒頭部分から第1変奏の特徴を完成形でなく、正確さを中心に求め試奏すると、プーランクのババールの物語の中身に沿った作曲の様子を、小節の最後の拍数の音まで肩に力入れず演奏しやすくなります。音程の着地や音の作りが静まっていく様子が不安定に感じても、決めた速さの中で両手が異なる方向を向きつつも、同じ方向に音を動かしたり沈まる様子を、バッハやショパンのメヌエットやスケルツォ・ノクターン風のラルゴの、拍子を聞きテンポを安定させます。

🔹ソナタ形式の特徴を持つシャミナード;INTERLUDEop.152は中間部を間に置いて前後を第1主題と第2主題がピアノと管楽器の雰囲気を持つ作品で練習は全体のテンポを揃えます。それを踏まえバッハアルマンド(フランス組曲)とべートーベンソナタの7番1楽章や28番と一緒にテンポの関わりを知ります。譜読みは耳からの情報に頼らずに、強弱・タイ・休符を(読み)→(弾きあらわす)事は苦しいため(弾く人の感情も大切に)→(ベートーベンのソナタに描かれた音符の刻みを優先し)丁寧に音の動きを観察してみます。それと同時に弾く人の気持ちを抑えて自分の感情に向けてストップをかけながらテスト確認し、描かれた音符に対しノンレガート等の記号を重点において、演奏する意味をきずかせてるのが、モーツァルトの幻想曲K.397の作品です。ガボットのタイ等の記号を、バッハのフランス組曲と相違する部分・しない部分を弾きながら探すとシャミナード(仏)【1857~1944】の、参考になります。

シャミナードのピアノ独奏曲にはソロ作品単独としての役割に加えて、モーツァルト(独)を参考にソロ曲全体を3声と捉え両手のアンサンブルと考えながら、左手は休符や低音を大切にしピアノの楽器によって代替された管楽・弦楽の合奏の役割を持たせ、右手はもう一声部を管弦パートの役割と捉えますとシャミナード合奏曲には秋・森の精・小協奏曲・他もある

というのも、バッハ以前のバロック時代からクラヴサン音楽の始まっていたと考えながら、クラヴサン音楽とされるプーランク(仏)の主題と変奏の楽譜がイタリアで出版された事・ラベルの作品がラモーやクープランのクラヴサンを起源にもつと思うと、リズムの読み方もひとところに終わらない所から独自な点と互換性ある点等、曲と自分の間を補完しながら

ハイドンソナタ2楽章のシンフォニアや、モーツァルト幻想曲k.397やロンド1番K.485から、ポイントで拍をささえる所・聴きなれた音より先に指を次の音へ進ませない難しさ,また、バッハのフランス組曲の2番や4番より弾ける速さの並進行や音符の弾みの反進行の難点や、バロックから続く器楽や声楽における各舞曲や音楽の種類やエール(主題と変奏の原形)から即興的なフランス音楽のまっすぐな所と動きのある古典的な低音が学びとれます。自分に媚びず堂々とした弾き方を演奏に反映させるのは、はずかしいことではないので、指示された速さで音1つ1つを省略せずに忠実に全て収めた上で、さらに単音・隠れる重音の意味をクーラント(重奏の原形)・サラバンドやジーグから見られることを教わります。ウィーンとイタリアのallegroのとらえ方の違いを時代背景をとうしながらも関心を寄せます。

🔹バッハフランス組曲4番は①最後には自分を励ますような軽やかな指運びと速さを目標に②譜面のなかの音符から、強弱の変化,リズムの揺れ,拍子の変化の自在さを、弾きながら引き出し受け止めます。①と②を、音楽を止めずに同時に大切にし、積極的に演奏する事で③1曲1曲自分の演奏も相手の演奏も、誉(ほ)め合える・励ませられるような練習のし方が出来るよう努力すること④バッハの舞曲のリズムを参考にしてシャミナードの音符を教わる事で色々な作曲家の二重奏や三重奏を弾きやすく生き生きとした相性の良い演奏になれるそうです。⑤その時目を向けて忘れずに思いだす大切な事もあります。⑥ベートーベンのピアノ曲からは、音符の長さが引き延ばされたり,伸びたり縮んだりしても、その場で1つのリズム内にまとめたいと自分の中で終わらせてしまわないで、広がりを持たせながらも、指示された拍子のなかで一つ一つの音群を収めること。⑦モーツァルトのピアノの曲からは、ト音記号の段・へ音記号の段それぞれ、1拍ごとの始まりやテンポ指示に違いあるのかなと感じつつもステップを踏みながらもカノンの様子を弾くことも、少し影響しあうようです。シャミナードの繊細な演奏を支持する部分に加えペダルと音の伸びを度々探求してみると作曲された音並び・強弱・曲名から連想する場面の変化も考察され、秋・森の精を演奏する時、バッハフランス組曲4番の強弱や速さから知ることも多々ありますが、19c終わり~20c初めに栄えたシャミナードの音楽だけから学ぶ事も色々と深く強弱の表現がとても難しい。それに関し、一つ一つの細かい音を演奏者が懐古的なイメージで作るということとはまるで違い、作曲家が古典派とロマン派の作風を思い起こし、先につなげ、シャミナードがその時思ったバロック音楽にさかのぼり、その様式を新たに遺(のこ)そうとしました。

a:作曲者は、独特な穏やかさを持つ‘ピアノ‘の音量で弾く人が弾きながら留めて置く所と聴く人に向け表したいかちっとした`フォルテ`部分を、1曲を通し緩やかな中でテンポ軽快に弾く事を願いました。

b:弾く人は、ペダル記号からペダル終止記号まで作曲家がどんな速さを希望したかを、自分に置き換えて曲と一緒に考えると、モーツァルトロンドのペダルの使い分けも、シャミナードのペダル指示も、わかりやすく見えやすくなってきます。打鍵を軽く弾く事は、意外と大変ですが、聴く人に向けては‘p,の音量であっても愉しくかつ落ち着いて聞こえる長所を持ち、曲の事で頭を一杯にせず、再度弾こうとしたテンポが速くても遅くても、精神的に軽快さが保てる・思いだせる形を頭の中に絵を描いておく。『秋』の作品は、右手にバッハのフーガやカンタータの形が交互に表れたり、左手はペダルとともにモーツァルトの軽やかな伴奏形を思い、『森の精』の速度は、Moderatoとありつつショパンの12の練習曲作品25の作品1のallegroの速さと同じである事を思い、再度弾く際は自分の弾ける速さを知りショパンの舞曲のリズムを探すとタイを伴う仕上げのテンポと自分の速さが揃い、モーツァルトのロンドの装飾音とシャミナード森の精のアルペジオを例(たとえ)に、楽譜が求めるペダルの可否と奏者が支える音そのものの積極性への影響が、実際の演奏から少しでも見えてきます。原典版はと当時の楽器の様式に揃えますが、改訂版は奏者の弾き方も大切に優先することから、ロンドの装飾音は、ペダルを使わず他と同じように真っすぐ揃えると協奏曲に見え、森の精はペダルがかかせず、弦楽器の和音・オクターブへの置き換わりや装飾音の部分の管楽器の視点が伝わる。又、響きだけにとらわれず音楽を身近に感じられる工夫を支えにします。

c:それを踏まえフランス組曲4番を思います。木管楽器をイメージしてバッハのクーラントの4分の3拍子とジーグの8分の6拍子とエールの4分の4拍子の8分,16分音符をノンレガートで捉え、1拍分を1拍子で考えることから、拍子やアクセントの視点を守った上で、弾く人自身が作曲家のユーモアを受け取り、拍子の面で無理に恐れて耳と肩を緊張をさせない事や、左手はベートーベンの3連符を習いpの音量で強弱のバランス、右手はモーツァルトの3連符を習い、自らリズムの加減を遠くから聞きます。穏やかで急速な軽やかな音の速さを実践する事で組曲のクーラントとエールとジーグの駆け足をする音量の意味に近づくのかもしれない。

又、アルマンド,サラバンド,ガボット,メヌエットは弦楽器をイメージし、音の数にかかわらずに、1拍分を普通に捉え調号を良く眺める位1拍目は楽譜通りに感じる事でシャミナードとの相違や、強弱の移り変わりを考え出します。

🔹立派なリズムだけを求めず力をかけすぎず音量の差を表現したい・・その気持ちも大切で、弾く人の音符の見忘れが生まれやすいポイントも、特徴をもつ曲ほどそこに起因するのでしょうか。。。ベートーベンの音の重なりが多い部分、モーツァルト演奏のアルペジオや装飾音の部分にも、ピアノ1台でしか表せないものもあり、そこからまた、弾く人が、単旋律スケール(音階)をたのしんで探しながら試奏する心持ちを大切にして、決して他楽器との組み合わせだけでない、ピアノ作品の魅力が伝わります。しかし一方ではピアノと弦楽器の可能性や古典派とロマン派のリズムや音符の対比を穏やかに取り持ちつなぐ曲として、バッハのフランス組曲4番やシャミナードの各作品を中心に見られ、Pとfの差をどんな感じでこだわり作品になったか等、和音とアルペジオの対比の影響を無理なく演奏につなげます。

連弾とソナタを知るためシャミナードも一目置く作曲家になりベートーべン1楽章の打鍵と学びますプーランクの作品等一番長く続けた作曲家の曲を弾く時であればどこまでも基本に立ち返って初心に返りヴァリエーションを探しそれを発展させ可能性を考えたいと思いがちになります。ですが、分かっているはずなのに、少しつまずいたり面倒だなぁと思った作曲家の曲をしている時練習が止まってしまったと感じる時が必ずありますが、そういう時こそもの足りないと思う心情から離れて、弾けるテンポで音の数に関わらず、自分の目の前で音符〔演奏する人〕が整頓され自身でも1音1音・短音も和音が自然と揃っているとわかる程に音楽してみる事を重視します。バッハは特に何度も弾き、時間をかけてもなかなか弾けた気はしませんが色々な作曲家に尊敬され大切にされており、シャミナードの作品もその1つかもしれません。

自分の曲としたいと思って弾く瞬間、耳をそば立てて固くなり音数の多さにつられ、呼吸を忘れるとバッハを思い出します。オクターブや重音,強弱の広がりや弱まりを持つ・和音や単音による主旋律の応答の様子・音階風の進行を持つ伴奏形の呼応の様子が見られます・。ショパンのピアノと管弦楽の独奏版の両手の様子とも似ているなと思います。弾けるテンポで、その小節内を音が整頓しているバッハの踊りの様子を支えに、その曲の拍子を基本にしてタイをともなう和音や単音が遠くから自然に聞こえてくるように弾かれるベートーベンのソナタも参考します。ベートーベンが指示したテンポの中で両手の異なる速さを一度に同時に弾く難(いた)しさは、難聴や人間関係だけに要因はせず、作曲された国により(速さ)の考え方がことなる事や、バッハの1つ1つ踊りのリズムが作品の助けとなり反映されます

🔹さまざまに作曲家の思いが引き立つ【秋】・連弾の為の【春】や作曲家自身の編曲版によるピアノとバイオリンの【森の精】や他作品・ピアノの為のモーツァルト幻想曲K.397の作品の中から、基本に戻った練習の仕方の大切さやバッハの練習の積み重ねを思います。その曲だけに集中せず、例えば、ハイドンイギリスソナタ1楽章から、1小節の中で今まで自分が弾いていた音の伸びや刻みを再確認したり、モーツアルトの曲で突然部分的に表出するスフォルツァンドの意味を思う事や、似た調性で右手の唄をチマローザのソナタから探す事・ドビュッシーの雪は踊っているを聴き、自分なりの1拍目の合図を正しくしたりプーランクがモーツァルトの左手の16分音符を参照した点等モーツアルト1つ1つの速度表示について練習時ゆっくり自然なテンポ変化の中で弾けるテンポを固めます。そこには、アンサンブルの要素が隠れています。歌を唄う様にバイオリンによりおしゃべりを始める人とそれを鍵盤楽器によって支える2人の旋律がソロの曲にもかかわらず見えてきて、これをバッハのフランス組曲全部の6つのジーグだけを取り出してそれに置き換えると、ジーグを1人である程度ペースを掴み弾けるまで見つめ直すと、みずからの歌と伴奏に分け捉える事もできるのが、楽しいと思います又フランス組曲のサラバンドにおいて、音形かえながらもA→B→A’のかたちを、1つの曲の中でまとめられ合わさって描かれている点に関し、ショパンのノクターン6番の練習のなかでソナタ形式の手本のようにも感じられます。しかしながら受ってかわって、ベートーベンやシャミナードの単音階や和音によるリズムを重視しながらもペダルの使われ方には厳しいところなど、バッハやモーツァルトと異なり、演奏者の落ち着きが左右してしまう点にはとても興味を持ちます。

🔹バッハのフランス組曲演奏時、mfでなくpの音色中心から創り出した、自分にも相手にも伝わる自分の弾ける拍節感を提示しながら演奏する事、そのことが、単なるフレーズの繰り返しを表すのではない・弾く人(私)が聞く人(相手)に伝える(演奏する)スタッカートや旋律・につながるように願って打鍵を強くかけすぎない程度で意識してみます。これをふまえ、自然体とは必ずしも鍵盤に逆らうだけとも限らない事に通じる。おだやかな扱いを心がけ、こう弾きたいという自分のイメージを基にするのも重要で、精神的に安定が戻ると確実性も戻します。フランス組曲6曲を、今弾ける安定した同一のテンポでとおして弾き、自分の演奏の仕方を客観的に知る・音の進み方とリズムの揺れを大切に、最終的に各舞曲の速さを加え、自分の演奏と一致させます。これはセシル・シャミナードの演奏にも生かされシャミナードならではの、左手の音量のバランスをとり畳みかけつつ全体の流れを指揮する低音群1つに対し、右手のかしこまってうたいながら喋る様な作品の中に描かれる音の動きや向きを、リズムどおりにつまびらかに表すことと、対比できます。1拍のペダルとスラ―やタイの使われ方・ソナタ形式や楽章ごとの4拍子⇆3拍子変化は、ベートーベンと同時に知ります。弱拍やタイを伴っている7番ソナタの1楽章や、3連符で始まる28番ソナタの1楽章の8分の6拍子、8部付点音符が特徴の2楽章4分の4拍子の音並びだけを中心に、感性も大切にして2段楽譜から応答と呼応の形を探し、その譜読みの努力が、シャミナードの秋や、森の精の4分の4拍子のテンポ一定に縦にも横にも弧を描く様子が、バッハの、クーラントの4分の3拍子ジーグ8分の3拍子演奏の音の豊富な所にも影響します。重奏や繰り返す強弱の移り変わりから色々な点『教材⑧~⑩』を考えたり、ベートーベンソナタの1小節の中の音符の長さやタイやスタッカートを伴う3連符や付点音符を弾く為、バッハのフランス組曲の譜読みを大切にしたり、落ち着いてたのしく楽譜を観るために、シャミナードの曲を、右手で視唱しつつ左手の音符をよく見て弾き鳴らして、音の跳躍や呼吸や拍節をコールユーブンゲンにならい自分のことばで弾き歌いすると、音符が丁寧に際立って見えてくると思います。

🔹シャミナードの小協奏曲は、子供のための作曲家の練習曲小品やバッハのシンフォニアの3声の3拍子や、ベートーベン31番ソナタ1楽章とプーランクノクターンの8分音符からうたやアクセントを見直します。まっすぐな拍子はモーツァルトの拍子を参照にさせます。ベートーベンの28番ソナタ演奏の時、バッハフランス組曲の特徴〔クーラントの同じ小節を両手がぶつかりながらが互いに合図しながら指揮する点〕〔1曲を通じ1小節の様なサラバンド〕〔エールの調性を大事にしてその調の第何音が両手を通じて行き来する点〕〔1拍の音符に厳格さを含む音の伸びが特徴なメヌエット〕〔小節を越えて両手それぞれが音量の差を加減しながら、隣り合う対のリズムの中に素朴さが込められたジーグ〕がベートーベンの曲から感じます。特にハイドンソナタ2楽章の曲と、バッハ各組曲のメヌエット形式の特色を下地に参照すると幻想曲・行進曲・カノン的なトリオの要素の中から感じられる拍子からピアノとバイオリンの為のベートーベンソナタ第5番「春」から歌や弦の拍子を学びます。

🔹ショパンの演奏にとっては変化の少ないテンポの中で転調やリズムの変化が多々あっても、手首や肘を上手につかえるようになるかもしれないことを思いつつ良い暗譜に繋げる。曲をきれいに仕上げようと、完璧な暗譜の一歩手前で、もうこれでいいかなと、なげやりになったら、逆に弾く人自身の言葉で、【音色の変化の由来】をこまめに詳しく書き出すことや、弾く人の空想を漂浪させるほどの曲であれば、自分を楽【らく】にすることに集中します。よくイメージされるショパンのワルツやマズルカや前奏曲の音符から、その小節だけで音が終わってしまわないような独創性のある純粋な要素を曲から探す事もとても重要で、8分音符2つや弱拍による音の長さや和音の第何音かを、気を抜かず見るよう、姿勢も確認します

1900年以降の曲においては、拍子や調性を駆使して1つ1つの音の伸びや刻みを弦の響きや打楽器的な動きで表すことで、曲の場面を表す左手の和声と全体の流れを表す右手のポリフォニーを表現にもつながります。1800年代のポルカには、古典派のリズムとタイやスラーなどのロマン派風の音のつながりを採用されている点で①先導する声の役目・横から盛り上げる管弦楽の役目・主役の鍵盤楽器の役目が登場したり②ババール初演(1946年)の朗読の役目・様々な楽器で奏される管弦楽の役目・又主役のピアノの役目と似ているような感じもします。

🔹ショパンの曲の暗譜する大変さ、又、その人の自由曲等含め【独奏曲の暗譜】にとって、練習・仕上げにこだわらず、その曲から得た指先や目で記憶した打鍵は、自分の気持ちだけで演奏を創ろうとせず、自分に少しだけ厳しく、と言い聞かせて、一歩踏みとどまり、最後まで、曲の暗譜に対して、おちついていなければならない。またトリッチトラッチやババール等、会話が聞こえてきそうな物語性を持つ合奏曲など、弾く人も聞く人も耳なじみやすいメロディ部分や【旋律の繰り返しが特徴的な箇所】がうかがわれる所の演奏の際、「スタッカートや付点リズム」は、弾きながら自分の気持ちにストップをかけると曲の輪郭などが出てくる事があります。ハイドンの2つのメヌエットとトリオの、3つの声部(1人1人の個性)それぞれ指揮しながら進むのに対し、ババールやトリッチトラッチは慎重に愉しむ事を知ります。頑張すぎると興味のある拍子や音の長さの曲から、自分のテンポを悩まず取り戻し、バッハ→自分が人前で演奏した曲の拍子と似ている得意な作曲家の曲→自分の興味持てる、作曲家の曲を作曲年順に並べて、休憩できる時間を持ちます。

🔹そのあと弾く姿勢がとても大切なプーランク演奏時、上2声部をバッハやショパンを基本に安定したテンポ感を決め、明快な拍子の正確さを感じ、倍音の響きに調子を合わせます。低音の楽譜から見えない交互に代わる強弱の変化はショパンやシューマンから参照します。

ババール管弦楽版を3段譜としてみた時、2人が弾く調性の様々な多重声部の響きと、1人が弾く無調性のいくつかの単音の重なりの部分が合うために、弾いたことあるバロック音楽や古典派やロマン派の3拍子を想定すると、3拍目から終わりにかけての特徴が学べます。

プーランクの旋律を管弦楽の面からみると、ドイツバロック音楽とフランスバロック音楽の両方を支持していたと考えると、管弦楽版連弾は2人で弾く方がよいのかもしれません。

和音はショパン手本に目立たなくても微妙にずれながらもバランス感保ち、ロマン派行進曲からコントラスト,印象派の高音を聴きますが、古典派の管弦楽合奏版6手連弾と対称的。

🔹たとえばショパンのノクターンop・15-3からは自分に合うレパートリーを探し出したあとにペダルと和音の関係は正確に保ちつつ、その合間で、自分の弾きやすいショパンの他作品に目を向け、(動きや拍動)があう演奏の手本とする曲を探したり、動きの似ている他作曲家小品をみつける気持ちを持つことが、また、最終的に自分の演奏の基本にもなります。【暗譜】の際は注意し【調性】や【響き】でなく【速さ】や【繰り返し】を重視した曲の参照をします。最後のほうのマズルカop.56,59,67やノクターンop.9やop.62のまえに、弱拍や休符の似ているショパンワルツop.64-2・子守歌・ベートーベンop.30-2・又バッハのフランス組曲クーラント・エアーやイギリス組曲3番等が支えになり、左手を重要視します。右手はショパンの倹約風・賛美歌風、踊りのリズム等を【Lentoの速さの他のノクターン】や【協奏曲独奏版2楽章】と聴き比べ、落ち着いた強弱と感情にとらわれない速さ(下記⑤,⑥)を見直します。歩いたり立ち戻ったり音の向きがさらりと正確に動く右手や、左手の音の長さを、右手の高音に沿って、1小節内のテンポはゆれつつもワルツ風の和音でしっかりと表す事で、音色の変化を、混乱せず暗譜を継続できるようにします。ペダル正確の中で全く関係のない調性へ飛んでいき少しの間うつろいてまた戻ってくる・和声的音階も旋律的音階も大切にし音がぶつかっても調性の変わり目が自然です。一方で、ショパンop.10-6・op.25-5等決まった速さの中で深呼吸し継続して自分の速さが必要な曲もありシャミナード6つの演奏会用練習曲や小品・モーツァルト作品や、ベートーベン28番ソナタ1楽章の拍子を丁寧に見直します。

🔹練習曲や人の前で演奏する曲を、調性や引き延ばされた音を見て、ペダル記号がある時ない時も、思い込まずにペダルの位置と曲とのつながりを細かく考えると発見があります。

③弱点にきずくと、バッハの短い曲を、左手の形を変えながらも支える規則的な低音の上に右手のタイによりつながれた、先立つ16分音符・付点8分音符・3連符等の音形の成り立ちをみて、自分自身が弾ける1拍目の基準を見つける課題をもつ時間がとても必要になったり、厳格に弾くだけでなく、in tempoで弾いた時自分として神経質になりすぎずに集中すること、頭の働く速さ以上には指を早く動かさないけれども、音の余韻を聞き即興性は控えて、楽譜に書かれている最小限の音だけで淡々と流れるように、思い込みや思い付きを減らす時間。自分を指揮しながら互いにテンポの配分だけに力をつかう連弾の時にも役立つ効果です。

◎時々気にしてみる事⇒出だしは自分を抑えて、強弱に重きを置く・フォルテはもう充分に聞こえているという心構え・ピアノは充分に分かり易く聞こえていく・急に焦らず思い直すこと・隙間なく主題にもどり、終りはきちんと数えて、自分を聞いてちゃっかりと気を配る

★8分音符が1つの音に何個か換算し力を抜いて単音を奏する。また和音による細かい音符も、一種の常動的な動きとして数えられますか?(バッハのサラバンド・グリーグオーゼの死など)

★1拍目に付いた装飾音つき8分音符と残りの音階を、全てはっきり弾くだけでなく、印象的に感じながら絵を見るように弾けますか?古典的踊りの時と民族的な踊りの響かせ方の対峙。愉しく弾くために、バッハのジーグを中心において、プーランクのノクターンやハイドンのアンダンテ変奏曲、メンデルスゾーンの曲で、指の独立を強化できるとともに、指揮しながら連弾の曲の演奏が良く弾けます

★タイのついた8分音符は、プツプツきれないように。また初めからスタッカートのついた8分音符は少しマルカートぎみに。(バッハのコレンテ=イタリア式クーラント・グリーグ朝やアニトラの踊り)その後ゆっくりから→作曲家が支持する自然なインテンポから→自分のテンポへ→。

軽やかさとのびのびとの違いや、軽くはつらつした部分と少し緊張感持つ所は、姿勢良く。

★初めからスタッカートの付く8分音符は少しマルカートぎみに。(グリーグ山の王の踊り)

→コンパクトな演奏を追求したいと思う時は、拍子が似ている子供のために書かれた邦人作品の小品のペダルの使われ方から風景を感じつつ、ハイドンHob.34やロマン派エチュードのペダル表示の研究から見比べ、自分らしい真面目さを思い出すことが、先決になってくると思います。

★すべてメゾフォルテや、フォルテの音で弾いてませんか・?[p]の表情(オーゼの死)

→伴奏と旋律ではなく、気持ちを重たくもちすぎない和音変化のタイミングが、4和声を支える。

★バッハの何気なくきずきにくい所は、現代音楽でも拍の余韻を見落としがちでないですか?

プーランク等の現代音楽は1拍子と思われがちですが、バッハの意識が低音で支えつつ常動的な所は、ハイドンなど古典派と現代曲の正確に素直さを表そうとするところが似てます。

ハイドンソナタhob・51はAndanteとprestoの2楽章のみの作曲ですが、一見すると、和音の羅列が何小節にもわたって続いている様に見えますが、単なるスタッカート風のアクセントや、フレーズの終りのスタッカートの語尾をはっきりさせたり、アクセント記号【fz】を、pの音量で弾くとそれは、ハイドンの意志的な協調だったり、スラーの付いた音符の部分は、気を抜かず、自然な音の並びを取り戻す所など、①鍵盤が見える範囲の指運びで、その時、イメージだけでなく、精神的にはめげないように考えると、曲の良さを保てる。②欲ばらず、和音の構成音とスタッカート到達度やタイを守り、弾けるテンポで音の動きを鳴らす。

まっさらな気持ちで、自分の思うその作曲家の積極的な部分と、特徴的な部分とわけ、頭の中で数小節の4声部の音楽を作る⇒奏者自身の安定したまじめさにつながります。自分の安心する前進と、あせったり、気持ちが止まり音楽に悪影響をあたえる気付き等、普段の演奏への助けになってくれます。落ち着いて見聞きすると、拍が早まる可能性がなくなります等。

舞曲の様子も忘れないために、シューベルト即興曲や勉強する色んな方が弾く、スカルラッティの演奏を聞いてみると、ソナタが、作曲された音そのものだけでなく、管弦楽の一部のなかでリズムが動いている事にきずくと、自分の演奏の決め手が見つかっていくことの一助になります。難しく考えていく事ではなく、テンポが速く弾けたではなく自信の持てる自分の音や耳の完成度をわかりやすくできたり、考えすぎていた部分を見直せた時が大事🎼

★グリーグは、右手内声を際立たせ外声を大切に、静かに1小節ずつ1歩引いて、指示を弾き手の解釈だけに頼らず、4和声を肩の力を抜き両手それぞれの強拍弱拍の様子を自然に聞く。

アクセントや休符・フレーズの収め方をハイドンの3つのイギリスソナタ・転調にともなう左手の確かさをモーツァルトから参照していきます。穏やかなさと鮮明さを両方もつ所、

ねばらず4拍子でも2拍子ずつ流れていく。休符や和音は手の移行は注意をむけると響く。

【グリーグのペダルの読み方】は難しく、1・3拍目のsecondの内声を伸ばす時・強弱が、pianissimoとfortessimoの直前の境目が中心ですが、ときどき内声の歌が外声に移動したり、連弾曲全体の中心部分の『歌』の時は、どちらが担当するか=グリーグの特徴でもある連弾は、よい方向にもわるい方向にも、お互いひとり一人のちょっとした真面目さやアクセントの韻を踏む場所への自信をもって聴き分ける耳の育て方が重要になります。会話が得意な人でも、不得手な人でも、連弾は、即興的でも、音符間を愉しみ弾く所を学び、テンポの崩れやすさを防ぐ為、隣り合う同音やつなぎの音階をはしょらないよう、音色の面だけではない部分を他のロマン派の作曲家の特徴からも学びつつ、中間部を挟んで旋律の斉唱、輪唱部分を、左手・右手歩幅を考えながらどちらも先回りせずに、リズムが手元で響く位でも自分の音が整然としている。ぺダルの使い方やAllegretto→Andanteの変化を、ベートーベンを参考*練習時は自分のひけるテンポを知り、それを踏まえて、音数が少ない部分も力を振り絞らなくても安定して滑らかさを出せる練習を、ショパンのマズルカを参考にテンポ設定をさげて弾き分ける練習。*バッハからは、自分の世界に入らず、休符の扱いやフェルマータ等をどのように休めるかも技術で、頭の中に音があふれていると感じた時は、バッハの練習の時の様に、曲がきちんと作曲されているので、自分のほうから早くしたり、遅くしたりせずに、コンパクトさを求めず、片手ずつ左手から自然な拍を数え右手の頭の音のみは必ず合わせて、拍に追われず自分の指が鳴らす音の増減を、みること。自然体で自分の弾けるテンポで弾き、作曲された以上の表現をしない、音楽が切り替わる場所を定期的に把握しておく。*相手に合わせるだけでなく、その強弱の中で、場面が切り替わる場所は唄を想起させる。自分を見失わずに、流動的な踊りと古典的な踊りを、タイを見て、同時に弾き分ける。

★ハイドンは、休符・拍・ペダル、音の増減・メトロノームアクセントの特徴・楽譜の選び方を大切に、本当はどう聞かせたいか考えて、丁寧に読譜する。考え込みすぎて雑になったらこうあるべきとか自ら厳しく指を動かそうとしないで、音が少ない部分も曲全体を登場人物や場面に置き換えたり、テンポの積極性、スタッカーティッシモやオクターブ・3度のタイやスラーの付いた3連符の連続など、最小限の重力で沢山の内容を引き出すことを学びます。

左手のこまめな機敏さにその場で全体の速さは決めず、右手が加わる事で流れをきめる。

力を入れずに、休符は待つのではなく、止まるのでもなく、想像してみる事を大事にする。

★プーランクは1拍にあまりこだわらないと思われがちです。気は落とさず力任せに弾かないどの様に2つの隣り合う音をつなぎながら聞こえるか考え、気をそらせて旋律を弾いても、後から拍がついてきてくれる力まない的確な1拍を知ると、音符そのものにより安定しやすい演奏を目指せる。

同じテンポの中で拍節感のちがう2つのメロディーが並行して動くので、平常心で冷静に。

⇒きちっと冷静なメトロノーム進行の中でも、絵の細かい部分を1つ1つ見るように、よい加減でまっすぐ楽譜を見てみる。メロディーの動揺に関らず素早いペダルで曲を止めない・自分とメトロノームが対等・数小節、1音でも、どこにむけて音の集中を持っていっているか・淡々とひとつずつ進む。タイの使われ方は弦楽器に似て、右手の和音やリズムの正確性と左手の常に冷静な低音により、音群の連なりを弾く。決して、ペダルへの意識より先に、自分の気持ちが先走らないよう、タイ・休符・音を無駄にせず明快にテーマと変奏を弾く。

1個のリズムと1つの響きが呼応するように、ペダルが必要な所と要らない所を工夫する。

右手左手両方が8分音符2個ずつの時、縦の響きに横の動きに隠れて並行する楽しさです。

冷静にならなければならないときほど、近現代の曲は右手親指と左手小指の音域が重要です⇒バツハのパルティータBWV825から、ジーグやメヌエットを弾き、かたくなりすぎない響きを習う。音の複雑さをそのまま雰囲気にするのではなく、自分自身がリズムにひっぱられながら、旋律と伴奏の意味合いがあるのにきずくと、輪郭がはっきり弾けてきます。⇒最後になるほど音域が広がるモーツアルトのpの音量を中心としたfの音を。

*音の余韻が聞こえる範囲の音運び*悩んでいるときは曲に対してがんばりすぎる気持ちや好みの速さはひかえると、拍子がメロディーが、後からついてきます。*初志貫徹なアクセント表示やフェルマータ、フランス語による言葉を眺めずにていねいに読んでみる事。強弱がなくなったと感じた時は、注目すべきで、プーランク即興曲、ショパンマズルカ・ワルツ・ドビュッシー小品も大切な作品

⇒パルティ―タはもともとイタリア語で、組曲の意味ですが、バッハは、バロック時代以前から伝統的に続くかたちに舞曲の楽曲をたすことで、その後も色々な作曲家により、自由な空気へと変化していきました。変奏曲のように練習曲と即興曲を併せてある様子です。また変奏曲とソナタ形式の拍子に関する境目を、ショパンのマズルカ・ソナタ・小品で、分けて見てみると、その小節の中の休符の様なアクセントの部分と一瞬休息軽く重心をかける所両方で、奏者の遠くから耳で聞く力とそのリズムの時間のかけ方に対し近くから一瞬積極的に拍を誘導することが重要なことも分かつてきます。セヴラックの組曲が変則的で切れ目がないと思うのは奏者が、拍をうまくまとめようとするほど弾けないと感じてしまうからで、数える所・歌うところをはっきり分けて作られているときずくと、即興曲と舞曲を合わせた様に2・3拍目だけでなく不安定だけど、1拍目も忘れずに弾かなければと思えてきます。また、絵を作画するように拍を調整するメンデルスゾーンの作品は勉強になります。自分からその雰囲気に沿いスピーディーに組み立てる古典と比べ、弾きたい雰囲気を多く持たずに、楽譜の会話する音を聞きます。管弦楽の音色を模した地域主義的要素(鐘の音や山の空気)とグレゴリオ聖歌の音階やマズルカ・スケルツォに似たその土地に伝わる民族的要素(踊りと民謡)が濁ることなく、両手が繰り返しながら交互に同一また変奏するのが、特徴です。ソロの組曲を1台のピアノで様々な奏者で演奏すると、ただそこに鳴る音でも「自転車」と「散歩」の感じ方の差があり、連弾においては普段の自分で良い即興演奏につながります。

肩の力を抜いたペダルの厳格さと、ゆっくりでも外声が内声に隠れる重音が特徴です。

④ピアノはバロックから日本の作曲家まで研究範囲がありますが私は、ソロで、交響曲の父と呼ばれた今までに、ハイドンは、ピアノソナタ(井上版)のHob.20・Hob34・Hob37・Hob.40・Hob.49・Hob.50・Hob.51・Hob.52・アンダンテと変奏曲を研究しています。

ハイドン自身が、ヨハン・セバスティアン・バッハの次男カール・エマーヌエル・バッハのソナタをよく学んでいたこと、旋律の『応答と呼応』の様子が見受けられたり、ハイドンの率直な交響曲の性格がピアノソナタにはあります。ハイドンの自筆楽譜には、ソナタの事をパルティータ(組曲)・ディヴェルティメント(喜遊曲)と呼び、愛好家・専門家に分け、作曲していたそうです。現代のピアノで、協奏曲(幻想曲風)・無窮動的・主題と変奏的か見分けながら、⇒実用的な音楽から鑑賞を目的とした音楽への変化する様子を想定します。

例えば、Hob・20には(Allegro)Moderatoと記入があり、現代ピアノと当時の両方用に記載がある。その為演奏には、ペダル、装飾音とレガート音の関係、フェルマータは、留意すると、率直に弾けます。視点を変えピアノという楽器を管弦楽と捉え、ブラームスとハイドンのマルカートとタイの関係から連弾のペダルの響かせ方、ハーモニーの割合、曲間を学ぶ。

作曲家の速度表示の解釈はいろいろあり、プーランクやラベルは、ゆっくり⇒in tempo⇒自信を持った自分な速さを探します。慣れた曲こそ、曲のペースや音色の切り替えは力まずに。

現代曲と、ハイドンの変奏部分の始め方と終わり方と見比べると、速さ・強弱、曲によって、Prestoなど発想記号の違いから、明らかな変化がある。管弦楽の視点から、ブラームスは、率直・軽やか・ジプシー風等、気を使います。アクセントや4和声の打鍵は、素早い気持ちの切り替え・1小節間は揺らさない、弾こうと思わず弾いていくのが難かしく、1フレーズの素早さ・和音を聴き分けるのが良いと思います。

ショパンの切れ味の良い舞曲のリズムになめらかな弾むメロディーなど、作曲家のつながりが見えてきます。メヌエットやポロネーズのソロ・連弾・練習曲の6手連弾もさまざま音楽家から作曲されており、アンサンブルという方向から見てみると大切な要素になります。強弱もフォルテとあってもピアノで音を聴き直すことができます。連弾は、自分の思いのままには弾けない分、【独奏のときのpの表情を極める】と良く、プリモは、主旋律・装飾音、セカンドは、プリモを支え右手は和声を保ち、左手は全体のテンポを安定させペダルで流れを作る・・。メトロノームの役割が、プリモのなるかセコンドになるかは決められません。それは、バツハのインヴェンションとシンフォニアを見直し、自分の現状にあう弾き方を探す。

またハイドンのピアノ曲に興味を持つことは、バツハと近現代のギロックやシャミナードのアメリカやフランス教育作曲家の間の、譜を読むという一目置く良いつながりになります。その音楽から学ぶのは、

:指に音を覚えこませることではなく、発想力を持ってゆっくり弾き⇒推察力を広げて普通に弾こうとする力です。自分なりに拍を想像する・伝えることが大切です。

:一方、このような考え方もできます。(ほんとうのテンポ)のなかでの動きを指にきざみつけてから、弾く速さはそのままにして全体のテンポをおとすこと。メトロノームは練習量の三分の一の割合にして、自分の音をきいてみる。親指と1拍目の意識は忘れずに考える。

ショパンは力まずしゃべるという意味で、素直な弾くコミュニケーション力がいります。

勿論、古典派も難しく考えすぎず、中断されることのないに八分音符など、よく学びます。

主題があって変奏があり、変奏の1つ1つの終りには、自己主張のフレーズが隠れていて、休符や突如とした16分音符・和音で間延びせず表現し続ける、また音数を見るだけでなく、音符の並びをよく見る・怖がらずに自分に話しかけるように指揮をするのがポイントです。

ハイドンやモーツァルトは、音符の長さ・休符・タイ・強弱は、当時の楽器を知り、フォルテを強すぎずに弾きピアノの部分を自信を持ち自然に弾くといいです。スタッカートやレガートの相違を取り出して弾き比べると、面白いです。ソナタやソナチネは、オーケストラの基(もと)になり日本のオーケストラへの広がりにつながる連弾曲もあります。スコアリーディングという連弾の効果もあります。演奏には2つのタイプがあると思います。ひとつは、音の表情を掴むのが早いのにリズムをはっきり弾き分ける事を自信を持てないタイプ

ひとつは、譜面を読むのは上手なのに音型をはっきりさせるのが気掛かりなタイプです。

⑤チャイコフスキーの語法は、それとは違い、音質を鑑みて、直接、音量の程度やリズムに繋がっていく思います。その時自分で自分の欠点にきずきますが、それには高音が聞こえにくかつたベートーヴェンや作曲当時ハープシコードは、2つの音のどちらかを弱く弾く事ができなかったバッハの弾き方を立ち返ってみたり、語法をくらべたりします。ドビュッシー,ラヴェルの印象派以降のセヴラックを演奏する時、右手の音楽を間延びせず持続させていく事と、左手の弾くと同時に自由な活発さを保たなければならない所は、拍子の取り方をバッハからヒントを探す気楽な真面目さが課題ですが、

演奏者自身から音楽を先にかんがえすぎず、かつ作曲家の細かく緻密だけど思いやりのある強弱表示と音符の長さまたペダル指示を、聞きながら自信をもつ演奏をこころみることが、達成の目標です。譜読みが終わったら、仕上げに向かうだけではなくて、今にも進みそうな直前のテンポで弾く事、又何度も仕上がった曲も面倒がらず突き詰めすぎず、逆に、良い所中心に振り返ると気が楽になります案外それがその作曲家の大切なポイントだったり、自分に合う曲探しの要素につながるかもしれない。⇒大切なのは、休符ひとつ・曲を支えるアリアの様な保続音や低音が変奏曲の中に形を変えてリズムとしてずっとあったこと・スタッカートをともなう和音や音の速さや音の進行に、その曲のイメージ以外に演奏する人に、弾くだけではない正確性のあるいさぎよさをくみ取って欲しかったかもしれないという事。組曲の最後から視奏してみると几帳面さと冷静さと同時に、正確さの中に静かで落ち着きと一気呵成な表現が見つかる等、奏者自身が聞く人に楽しく鑑賞してもらう自信につなげる事です★学生層から社会人層へと慎重にこだわり過ぎずに演奏を引き継ぐことは、とても大切です

その曲のイメージを素直に感じ取りながらそっくりそのまま残しつつも、自分の弾き方を、沢山作り直していく必要があり、CDを真似るだけではいけません。鍵盤に対する響き具合を演奏と作曲を結び付けていく事も言われますが、今まで何気なく出会っていた曲でさえも、その時は意識してなくてもとても特徴を持った曲だったことも気付きます。様々な3拍子を、思い返す時に、ショパンのノクターンop.9-1・2・3マズルカop.6・op.7の演奏を鑑賞した際、速度表示や曲調に関わらず、1小節内のリズム1つ1つは丁寧に余韻を聞き、次のリズムへすぐ移らずに余韻(語尾)を弾く事、また、プーランクも強弱の境目を丁寧に弾き分けることで休符や音符の長さを介し(伸びる音、きざむ音)に関わりをもつことを感じます。テンポは作曲家によって(速さ)の特徴は違い、曲を止めないで自分の長所を集約し反映させます。又、ショパンの古典派の左手のお手本と流れ動くロマン派の右手の歌唱する・朗読する事を

連弾演奏に反映する時に、例えばブラームスのワルツ連弾において誰が弾いても綺麗に響くという難しさを、ベートーベン変奏曲や交響曲独奏版5番・7番や・プーランクのババールや最後のノクターン(シューマン風)・ショパンのマズルカ風のノクターンに登場する3拍子を、アルペジオ(和音)ととらえて見比べると、速さは自分から想像するだけでなくリズムとして備わっている事、練習曲≒連弾には、2つの事を知らないといけない事も学びました。①甘美な表現でルバートを多用しながらも基本的には一定のテンポ感を保ちながらの演奏②軽快なテンポに大きく緩急がつく演奏などに気付かされます。ハイドンアンダンテ変奏曲をとおしてブラームスは弾き手の感情が表され、リストは弾き手の感情だけでなしに休符やオクターブにより物語を紡ぐのが特徴で、プリモの行間を持たせた演奏を支えるのにセコンドのシンプルな安定感は大切で、当時のピアニストや教育者が遺した異稿(編曲版)を会話を書き写す様に焦らず読み、音符の長さ等とっさに緊張せず流れを考えだせる翻訳力は、難しい

A→B→A’形式や、ブラームスワルツ2番・15番ソロ異稿版からは、演奏者の、和音の動かせ方そのものがその曲のテンポになるために連弾においては縦の線を合わせるのに、バッハのハーモニーから学ぶ事。またショパンノクターンから6番の3拍子の表現を聴き手がみて聞いて分かるようにする為に、弾き手は、テンポはあとからついてくると捉えて、ゆったりとしたリズムの中で落着きを持てる様に右手の五度圏支えと左手の小指の悩まない正確性も必要。

ショパンノクターンの強弱の急速な変化を、プーランクのノクターンのオクターブによる和音の強弱の変化と比べると、プーランクの楽譜の複雑さから直接見て取る事は困難だけど音楽は慌てなくても流れていく、ショパン弾く時の姿勢からは、ベートベンの重和音の様子とは違い、右手と左手が同時だけでなく単独で落ち着いていなければならないことを知ります

⑥近代音楽においても、両手のメロディーが独立しつつ調和し合う(歌う)所・自然と並び作られるリズムを演奏者が常に音をなぞるよう真っ直ぐに調子を合わせなければならない所(主題)は、音楽になじむだけでなく初心に戻り「ペダル」を見直し作曲者の背景(変奏)とアンサンブルする相手に感謝できる時です。→ある程度様式性だけを見ながら弾いてみるとその人の興味深い演奏につながりますが、同時に焦ったりあわてたりしないで弾ける速さに完全に落とすことで、不安を恐れずたのしく動きの出る弾き方に出会う事は大きな一歩だ

★ともすると旋律重視になりそうな部分を邦人より編纂されたハイドンの応答と呼応の様子や、昔話の旋律を頼りにしてみると、速度の不安な部分を1拍めが重なっても見直せます。

教材について⑤でリスト振り返りながら小象ババールの物語にも、古典の、ベートーベン、テンペストや、ダカンのかっこう、リストの3拍子の中8分音符2つ分の1拍目の休符の間合い

セヴラックの移動する保続音をともなう移動するオクターブはリストではクラスター和音等

⇒このことからセヴラックの時代の音楽と全く違う点はリスト巡礼の年報第2年イタリアから学びます。★ただそこで自由に響いている音でも、片手ずつ余裕を持って、両手それぞれの拍動を意識する。弾いて間もないと、その時自分で学んだ1拍の刻みと、あらためて演奏する休符をともなう音が合致するまで、テンポを下げる。★逆に変奏曲は、各変奏の特徴がよく出やすい様に、止まらないようなリズムの形式を重視する。見た目には、手の移動が少ないように見えても、たとえ1つの変奏を減らしたとして、軽快に音がうごくように思えるまで、

テンポの余裕を持って次の拍へ音が進むようそのイメージでテンポを上げすぎないのが大切

★自分のいきすぎた集中を防ぐ、右手親指の安定した柔軟性。★曲が崩れない様に、高音部の音と低音の保続音は、それ以上は鍵盤から離れない事。★セヴラックとは違って、正確な6拍子と響きは拍を中心とした音で、ゆっくり奏する際も両手が自律し調和しつつ右手の音は左手に隠れる。ハイドンやショパンを振り返ると共に、ギロックやチマローザ参考★プーランクのリズムと拍の器用さが似ているが、焦っていた時でも2つの8分音符は、後拍を見逃さずに、1拍ごとに音をおさめ、3連符も音が遅れて聞こえても両手の拍が調和する。音の増減を作るのではなく、拍のずれを気にしすぎたとしても、整然としてくるまで安定を保つと、流れる音が、自分の落ち着きで右手の縦の音が収まってくる。左手の横の響きと対話させるプーランク演奏時、リストと一緒に演奏する時に気をつける事は、付点32音符が3連符にならないように弾こうとせずに自然と拍がついてこれるよう集中せずに音をまとめる大変さです

★2つのメロディーが最終的に一色だけになってしまわない様に、バツハのパルティータや、モーツアルトの変奏曲・ベートーベンソナタから音の並び、ラベルのソナチネやメヌエットから音の構成などを参考にしてみます。音符を無駄にさせないという点で、セヴラックは、古典派のフーガようだけでなく、1拍目がなくならない事がリストの低音と旋律に共通する。ミスタッチを避けようとする完璧さだけに専念するだけではない、音と音を隔てている距離のことも考えて間違うことを受け入れる。人の演奏も聞き、やり慣れてきた事とは異なった要素をあつめて一つにできるようになるのは、その人にしか創りだせない冷静なテンポです

⑦レパートリーを深め大変長いことですが大切なメッセージも必ずもらえます。ベートーベンのOP.27-2の2楽章と、巡礼の年演奏時に、声楽的メロディーと器楽的メロディーの両方を聞き分ける事や、3拍子を自分に話しかける事、多声部のひびきをききながら弾く事は重要。苦しい時こそ、くやまずに淡々と演奏を心掛けつつ、‘話す部分‘と‘歌う部分‘に自分の中で分け曲全体から、円滑にひと呼吸おけるポイントをバツハインベンションをながめ、気付き直しハイドンソナタHob.51の2つの楽章から音の鳴り方だけを楽譜に託し硬くならないを心掛ける

それを勉強したうえで、ロマン派の曲を縦の線を合わせるということに関して、厳格さと、曲調の反比例は、ペダル・スラーをみながら弾かなければいけないという点で学習します。でも、プーランクという作曲家からも、主題と変奏すべて把握しようとせず、2つにしぼりハイドンHob.20の2楽章強弱のアクセントの起伏から、手元で弾んで進む小さな足跡に例える部分と、プーランク独自の打鍵に対し1つ1つの変奏から自然体で唄う部分もを知ります。

バッハ・スカルラッティ・ハイドン・ショパン・モーツァルト・ドビュッシー・サティ・フォーレ・シャブリエ、チャイコフスキー・ブラームス・シューベルト・シューマン・ストラビンスキー・プロコフィエフと、親交はないけれど学んでいます。演奏者が常に2つの旋律を並行させながらもバロック音楽・古典派・ロマン派の響きを振り返りながら弾くという点で集中力と奏者の個性が求められます。その調の第一音から中核となる音までの両手それぞれの3拍子のワルツや祈るような3連符を、現代作品はバロック音楽ロマン派と比べ、調性音楽を大事にしつつ伴奏音楽と古典的かつ無調性の音で、何気ない響きと確かさが見うけられる

ひとつのソロの曲を練習するには色んな時代の色んな曲が関わっています。元気やヒントももらいます。又、ピアノの連弾をよく知られたソロ曲やオーケストラ版で一つの曲のように演奏する時フランス音楽を敢えて全てppの音量でゆっくりと弾いたり、古典派のソロ曲を弾くのに、色んな時代のワルツやポロネーズ、変奏曲の構成又バッハの2声部、4声部の曲、強弱、音の響かせ方、ペダルを、他の人の演奏で弾かずに聞いてみると為になる。ロマン派の曲は音階を見直し、右手の旋律・左手の旋律の両方を、録音してみるしんどさもあります。★【リストの速さ】に関し欲少なくすべての音符が決まる為にロマン派連弾(ブラームス)ソロ部分から3拍目を忘れない事や曲に余裕を持たせるため和音に対する臨機応変な部分・

1拍目に対する気取りなく瞬間的な明るさ・単音による半音階2拍目のアクセントが必要。

それを、現代音楽のリズムに反映させるときに、あせらないリズムの鮮明さが生まれます。

ブラームスが鍵盤楽器奏者として、女声合唱団の指揮をしていた時に作曲した小品が、動機となる曲には、前奏曲・マズルカのリズムが登場します。人の声に近いとされるバイオリンや金管楽器のような親しみやすいメロディ+四声部の合唱の響きを含んだ旋律が重要です。

⑧長く続くには、洞察力また的確な段階練習(作曲家が残した楽譜から何を読み取り、何を表現したいか)の共に、【柔軟な気持ち=自分の気持ちの動くまま、自然な形でルバート(誰にもまねできない心の土台)を自分の中の自信として育てます。】慌てずに、それぞれの作曲家の演奏様式のちがう何曲かを照らし合わせ、頭を空にして育てていくと、自然に、発見を力に変えることのできる原動力になります。まともに練習しているときは、音が遅れてきこえてくること、本番のときは、自分以外の自分が、安定的・規則的に演奏を誘導してくれている様に、気付かなければなりません。一番難しいことだけど、あまり考えすぎずに自分の普通を習得することが、ポイントなんでしょうか・・・❓【よい練習】につなげるのは、一番むつかしいけど、面白いです。

★空回りしたような調子の良さ,ぎこちなさがある時は、自分を捨てずにpianissimoで、余裕をもって弾き直す。立ち止まって、本能的に音楽を掴(つか)まえる力を養う時間を持つ。

★自分の音楽を取り戻したいときは、一気に弾ききれる曲で、自分の持てる力で、無心に、強弱・緩急がつきそうな曲を選び、前向きになるテンポへもっていく。考えすぎない。

★似ているようだけど、作曲様式のちがう作曲家の曲で、右手の作風・左手の作風を見聴き比べ、その作曲家が持つ本来のリズム感を調整し取り戻す。力を抜いて好奇心を持ち、ピアノを弦楽器と思いテンポを速めた時でもイメージしている自分の音が出ているかきくこと。

★気分を、全く入れ替えて、運動する。ピアノ以外の管弦楽作品や声楽作品を聞いてみる。

★知っている物語りや詩に、クラシック作曲家風に挿入曲を作曲すると、普段その作曲家   を、どれだけ理解できているかを、教えてくれて、励ましや暗譜の練習につながります。

⑧PTNAステップ・コンペ教材をはじめ、【子供のためのピアノ曲集】、エチュード教材、

【邦人作品】【クラシックソロ作品】、【スコアリイーデイングと連弾】等取り入れながら、自分の心にまっすぐ元気に、導入期や、成長期に合わせ少しずつ技術を習得します

また、【伝統的なソルフェージュ(教材についてに記載)】と、【フォルマシオンミュジカル教材での学習(教材についてに記載)】を通じ、【アンサンブル】もします。

⑨ピアノソロはテンポ・強弱・表情、『初めはゆっくりから普通に弾けるテンポを探す』・『自然に』・『オーケストラ』・そしてよい練習ができた時の自分の中の『お守り』としてみること、連弾は、動じない素直で元気な自分は見失わないよう、『ピアノソロが二つあるようなもの』と考えて、ソロだけの時では感じることのできない自分に出会います。強弱・ペダルは気にする回数が頻繁に増えたりします。テンポは作曲家によってプリモとセコンド別々・また二つあわせて一つ色々です。






Nピアノアンサンブル教室~ 広島市南観音町にある曽原音楽教室

5才から~80才の皆さんピアノに触れてみませんか?伝統的なソルフェージュやフランスで発祥し日本の編さん者もたずさわるフォルマシオンミュジカル、又ドイツで発祥しフランスで発展した連弾の文化をとりいれレッスンをします。ピアノを弾く最終目標は、聞き手が理解できるように、作曲家のことばを知り、受取って冷静に演奏します。 Nピアノアンサンブル会主宰

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